Wings
VP-50
click here
私が写真を撮り始めた頃、良く通った厚木基地で初めて撮れたP-3オライオンが、VP-50のP-3Cだった。その頃はB型とC型の区別も出来ず、先輩から「レードームの下に顎のように機器類が付いているのがC型!」と教えて頂いた覚えがある。NAVYのP-3の魅力は、なんと行っても派手なマーキングであったが、大きな尾翼をキャンバスに部隊名にちなんだ大きなマークを書き込んだP-3は、遥か遠くからでも尾翼さえ見えれば何処の部隊の所属か判別が出来た。P-3のシルエットを目にする度に、今日は何が撮れるのかとワクワクした気持ちにさせてくれた被写体だった。

VP-50は、C型を比較的早く受領していた為、軍縮の影響で解散するのも先かと思っていたが、真っ先に消えて行ってしまった。厚木で嫌になるほどT/Gを繰り返していた為、沢山撮影していたような記憶があったが、実際にはあまり撮っておらず厚木基地での写真は少ない。結局後に嘉手納遠征で彼らを撮ることが出来たので良かったが、皆さんも毎回目にするので「イモだ」なんて見過ごしていると、あとで後悔する事になるので撮れる時にはしっかり撮っておきませう!(2002/3/17 記)
VP-50 "The Blue Dragons" in Kadena AB Okinawa 1979
上の3枚は全て同じ方向から撮影したように見えるが その通りで厚木基地のお墓のあった空き地ポイントから400mmレンズでR/W19のタッチダウンを撮ったもの。ネガカラーであり色は今一である。1976年撮影
彼らVP-50は本来の対潜任務意外に1970年代初頭、P-3Aを使ってミッドウェイ等からアリューシャン方面のソ連ICBMサイロの偵察任務も行っていたそうで、ソ連軍用船の周りに落とした音響測定機器をわざと回収させ、基地内のロシア語の音声などを分析して状況を伺っていたという記事もある。

↑ このSG-3 / Bu.No.158213は、この翌年1980年4月17日にサモア共和国パゴパゴで航空ショーの最中に墜落して失われました。

この部隊の起源を辿ると、1946年に創設されたVP-892という部隊からスタートしたようだ。1953年に現在のVP-50と言う名称なり、その頃PBM-5マリナーが使用機であった。1960年から1964年まで岩国に駐留して、1967年にNASモフェットフィールドに移動しP-3Aを受領、P-3Cへの更新は1971年である。1973年には日本の海上自衛隊に最新のP-3Cをアピールするため厚木を訪れている。1987年にP-3CアップデートVに更新したものの、冷戦終結に伴う飛行隊の削減で1992年6月に閉隊となった。最後の彼らの赴任地アラスカで終局を迎えている。
SG-1/158219

1976年末 VP-50のオライオンにシャークティースが入っているとのうわさを聞き、その撮影のチャンスを待ったが、漸く目の前に現れたP-3C VP-50のSG-3は、歯の無い口を描き、不気味な笑いを浮かべていた。歯は後から書き加えるかと思ってマニア達はその動向に注目したが、結局暫くして消されてしまったようである。P-3の対潜哨戒部隊では、シャークティースを描いたケースが殆どなく、珍しいものだった。

HOME
Tail-Markig of VP-50
SG-10/157330
SG-4/158214
SG-5/158215
SG-6/158216
SG-7/157329
SG-12/158930
Old-Insignia of VP-50
SG-3/158213
SG-2/158218
P-3C of "The Blue Dragons" was landing to NAF Astugi 1976
VP-50は、時によって個別の機体に特別のマーキングを付け加えたりしたが この”SG-4”も尾翼のドラゴンの口から赤い炎のような出ているようにペイントが付け加えられている。最初は、現像時のゴミか汚れとも思ったが、どのショットにもあったので間違いなくペイントされたものである。1976年撮影
この飛行隊は、解散前の1991年3月21日 悲劇的な事故を起こしている。サンディエゴの南西60マイル沖合いで、VP-50のP-3C同士が空中で衝突し2機とも海に墜落、両機の乗員27名全員が死亡すると言う事故である。おそらく P-3オライオンの事故としては、最大の犠牲者が出た事故であろう。この事故で失われたのは、上の写真のBu,No158930とBu,No,159325の2機。158930は、当時”SG-8"と言われている。
P-3C "The Blue Dragons" was displayed in NAF Astugi 1978
(1946〜1992)

↓ 下の写真は、1979年夏嘉手納基地で撮影したもので、VP-50との最後の出会いとなった沖縄遠征だった。VP-50は、1979年6月11日あら8月まで嘉手納のNAVYエリアに駐留し、ベトナム難民の監視、救助活動、ハープーンミサイルの空対地ミサイル能力の検証など多くの任務を果たした。

NEXT